家族について考えるワーク 母のこと2

みなさんこんばんは。

カウンセラーになるための勉強中の「しゅうこ」です。

このブログでは、【3ヶ月先まで予約のとれないカウンセラー 根本裕幸さん】

心理カウンセラー根本裕幸オフィシャルブログ
3ヶ月先まで予約の取れない心理カウンセラー根本裕幸(ねもとひろゆき)が結婚、恋愛、ビジネス、家族の問題を心理学で解決。

が提供されている「お弟子さん制度」で考えたこと、学んだことを、私なりの言葉でお伝えしていきます。

(このブログでいうカウンセラーは2019年に国家資格になった公認心理師や、民間団体が行っている心理系の資格を持つ方々ではなく、広い意味のカウンセラーを指しています。)

 

実は私、先月の時点でカウンセラー活動兼ヲタ活用にTwitterアカウントを整備しました。

その後放置していたのですが、今日ようやくツイートできました!

私は漫画、中でも少年漫画と青年漫画が大好きなタイプのヲタクなので、同志の役に立つツイートができたらなぁ、と思っています。

マニアックな世界ですが、興味があれば覗きに来てくださいね。

x.com

 

〇家族について考えるワーク

今夜も、「家族について考えるワーク 母のこと」についてお話しします。

「ワークの効果」と「家族紹介」を再掲しています。不要な方は読み飛ばしてくださいね。

 

〇ワークの効果

・家族の源家族のことや、生きてきた時代背景、環境等も含めて考えることで、家族の行動や感情がより深く理解できる

・家族と自分との関係を見つめなおせる

・家族のことを振り返ることで、自分が家族から得られたこと、学んだこと、感謝できることを見つけることができる

・家族の問題の中から、自分の才能・魅力を見つけることができる

(苦しかったこと、悲しかったこと、寂しかったこと、つらかったことほど自分の才能を教えてくれるかも?)

 

〇家族紹介

家族個人については話す前に、私の源家族について簡単にご紹介します。

【家族構成】父・母・兄(私より1歳年上)・私の4人家族

【職業と家族の5つの役割※のポジション】

※家族の5つの役割~組織・グループの問題解決に役立つ視点~

各用語の意味は以下のHPを見てみてください。会社の組織などにも当てはめられて面白いです。

家族の5つの役割~組織・グループの問題解決に役立つ視点~ | 心理カウンセラー根本裕幸
* 家族や組織などの人によって構成されるグループは、そのメンバーがヒーロー(ヒロイン)、犠牲者、傍観者、ヒール

 

父:会社員⇒退職/ヒーロー(リーダー)・ときどきヒール(問題児)

母:専業主婦/犠牲者(我慢する人)・ときどきチャーマー(ピエロ)

兄:学生⇒会社員⇒公務員⇒休職⇒会社員(?)/ヒール(問題児)・ときどきチャーマー(ピエロ)

私:学生⇒会社員/傍観者(見てる人)・ときどきヒール(問題児)

 

家族の5つの役割を表にすると多分こんな感じ。

(例:父から見ると母は犠牲者・ときどきチャーマー)

見られる側
見る側 犠牲者

チャーマー

問題児 チャーマー

傍観者

ヒーロー

問題児

問題児

チャーマー

犠牲者

傍観者

ヒーロー

問題児

犠牲者 傍観者
ヒーロー

問題児

犠牲者 ヒーロー

問題児

 

〇クリスマスプレゼントに関する、母との悲しい思い出

私の母はイベントごとを大切にする人で、お正月、七草、節分、ひな祭り、こどもの日、七夕、夏祭り、十五夜、クリスマスといった季節の行事、春分の日、お盆、秋分の日、年末の墓参り、家族の誕生日のお祝いを毎年欠かさずやっていました。

兄と私は子供の頃、母と一緒にこういった行事をするのがとても好きでした。

ただ、その中で嫌だったのは、5~6歳頃、私は誕生日とクリスマスが近かったために、母から「しゅうこの誕生日祝いとクリスマスのプレゼントは一つでいいよね。」とひとまとめにされたことでした。兄は誕生日が6月だったので、誕生日祝いとクリスマスのプレゼントは別々にもらっていました。しかも、当時はそれなりに高かったスーパーファミコンのソフトを与えられていたように思います。なので子ども心に「何でお兄ちゃんは高いプレゼントを二つもらえて、私は一つしかもらえないの?」と悲しく感じていました。私の問いに対する母の答えは、「お金がないから」だったように記憶しています。

私は翌年から、安いお金で沢山買ってもらえるという理由で「本がいい」と言うようになりました。

本自体は好きだったのですが、初めて本をお願いした時は、悲しいかったことを覚えています。

「自分だけ我慢させられている」感じがして、悲しかったのかもしれません。

(今思い出しても悲しくなるのですが、「何故悲しいのか」を正確に言葉で表すのは難しい・・・。)

 

〇私は母の愚痴の聞き役

私と母は、私が小学生の頃、下校後から兄が返ってくるまで、二人でおしゃべりをして過ごしていました。兄は家から少し離れた大学の付属小学校に通っていて、私は地元の公立小学校に通っていたので、下校してから兄が帰ってくるまでが、母を独り占めする時間でした。

私は母に小学校であった話を聞いてもらったり、テレビや新聞(といってもテレビ欄や折り込み広告など)の何気ないことを話すことが多かったです。

ただ会話に交じって、私はよく母から愚痴を聞かされていました。内容は「お金がないから、お母さんは欲しい物を家族のために我慢しているだよ。」「お父さんと離婚したいけど、子供達のために離婚しないんだよ。」といったことでした。

それに対して私は「欲しいんだったら、お金を貯めて買えばいいじゃん。」とか「本当にお父さんと離婚したいなら、離婚していいよ。」と答えていましたが、母からは決まって「お母さんが我慢すればいいんだから、いいの。」という答えが返ってきました。

愚痴に対して何か提案しても「我慢する」という答えしか返してもらえなくて、虚しさを感じていました。

正確には「頑張って提案したのに受け取ってもらえなかった無力感※」を感じていたのかもしれません。

無力感:罪悪感の一種。助けたい、救いたい、役に立ちたいと思って頑張ったが力及ばずうまくいかなかった場合に生まれる自責の念。自分が愛に満ちた存在であることを理解し、受け入れることで癒される。

 

〇私への干渉

兄には第一子ということもあって過保護・過干渉な母でしたが、私は干渉を嫌って突っぱねるタイプだったので、兄よりは干渉されないで育つことができました。

しかし、私の進学に関して母自身の希望を押し付けるという形で、干渉してくる人でした。

私が高校受験をするとき、私はモノづくりに興味があったのと、早く家を出たかったことから、家から離れていて寮がある高等専門学校(高専)を志望していました。しかし、「母の憧れの学校だから」という理由で押し切られ、進学校を受験して、進学することになりました。

また、私が大学受験するときは、私は家の片付けやインテリアが好きだったので、将来の仕事にするため、インテリアデザインが学べる関西の大学に行きたいと言っていました。しかし、「お金がないからダメ」と言われて、地元の大学しか受験させてもらえませんでした。また、ある時は親からは「女の子なんだから、わざわざ県外の大学に行かなくてもいいの。」と言われたこともありました。

私が大学受験する前の年に、兄は遠方の大学を受験させてもらっており、「何で目的もはっきりしなかったのに兄は遠方の大学を受験させてもらえて、目的のはっきりしている私は受験が許されないの?」と思っていました。また、「親の希望に沿って努力して進学校に入ったんだから、希望の大学に行きたいと思うのは当たり前でしょ?何で進学校に入れって言っておいて、出た後のこと(教育資金のこと)を考えておいてくれなかったの?それに性別は関係ない!」と憤りを感じていました。

学校の友達に悩みを相談しても「親なら子どもの夢を応援してくれるよ。もっと話してみなよ。」と励まされ「普通の親はそう思ってくれるよね。うちの親もそんな親だったらよかったな。」と余計に悲しくなったのでした。

 

〇母のことを考えてみた感想2

母のことを考えたことで、こんな気づきがありました。

・お金の問題や進学のことなど、母が身近にいて取り仕切っていたので母を悪者にしがちですが、父の稼ぎや方針が影響していたこともあったかも。

・母は私と一緒にいたかったのかも。

・大学に進学したことのない母は、私が県外の大学を希望することを想像もできなかったかも。

・仕事は腰掛け程度に考えていた母は、私が仕事のために関西の大学に行きたい、という考えが理解できなかったかも。

 

〇母との関係を振り返って気づいたこと、私の才能・魅力

・誕生日兼クリスマスプレゼントで悲しい思いをしたことをきっかけに、小さいころからお金の価値を理解できるようになった。

・お金の管理をとても大切にするようになった。

・買ってもらった本を大切にし、繰り返し読むようになって、国語力が付いた。

・「買ってもらった本に飽きたら古本屋に売って新しい本を買う」という習慣が身につき、合理的にお金を使う経験ができた。

・母を助けてあげたいと思う「愛」を持っていたこと

・希望に合わない環境の中でも、適応してやっていけること

・悲しい出来事を後で振り返ってみると、その出来事が今の趣味への愛着や仕事への原動力になっているかも。

 

〇家族について考えるワーク 3日目の感想

母に関することについては特に、苦しかったこと、悲しかったこと、寂しかったこと、つらかったことにフォーカスして書いてみました。大人になった今でも、「あの時母に何をしてほしかったのかな?」と考えるといろいろなニーズが出てきます。ただ、「あの時母は、私のニーズに応えられたの?」と考えると、「難しかったかも」と思うことが多かったです。私も子どもだったので仕方ありませんが、”お母さん”に対する期待が高すぎたように思います。

幼少期から本当に最近までそのことに気づかず、「期待に答えてくれない母」にずっと苛立ってきたように思います。そして、母が叶えてくれなかった願いを叶えてもらおうと、恋人/夫に「理想の母親像」を投影※するようになって、夫婦問題を抱えるようになったのでした。

 

※投影:心の中を外側の世界に映したもの。この場合は、自分の価値観を恋人/夫に投影した、という話。

 

今の私が過去に戻ることができるなら、昔の私に、「”お母さん”は子どもの気持ちを全部理解できて、何でも子どもの願いを叶えてあげられる神様じゃないよ、普通のおばちゃんだよ。」ということと「お母さんも千差万別。ありのままのお母さんを受け止めてあげようよ。」と伝えに行くかもしれません。

私自身、子育てが苦手で、”理想通りのお母さん”なんてできていませんから!(子どものことは世界一好きですけどね。)

 

明日は「家族について考えるワーク 兄のこと」をお話しします。

 

心と体をゆっくり休めてまた明日、お会いできたら嬉しいです。

それではおやすみなさい。

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